
| 1931 - 1966 |
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| 1931−6月10日 ブラジル北東部バイーア州ジュアゼイロに生まれる。 本名ジョアン・ジルベルト・プラード・ペレイラ・ヂ・オリヴェイラ 1949 ラジオ・ツピー所属のヴォカールグループ(ガロットス・ダ・ルア)にクルーナー・スタイルのリード・ヴォーカルとして迎えられ、リオデジャネイロに移り住む。 1952 コパカバーナ・レーベルよりジョアン・ジルベルトにとって初のレーコド(78回転)が発売。ガロットス・ダ・ルア名義【Quando Ela Sai ( Alberto Jesus-Roberto Penteado )】【Meia- luz ( Hianto de Almeida-João Luiz ) 】 1953 マリーザ・ガタ・マンザがジョアンの作品【Voc&eaccute; Esteve Com Meu Bem】をレコーディング。 1955 ポールト・アレグリに数ヶ月滞在。その後ヂアマンチーナに住む弟ダダイーニャの家に住み移る。 1958 アストルーヂ・ワイネルト(後のアストラッド・ジルベルト)と結婚。 3・4月:フェスタ・レーベル制作によるエリゼッチ・カルドーゾのアルバム【Cn豪o do Amor Demais】にギタリストとして参加。 7月10日:オデオンでの初のソロ【Cheaga de Saudade】【Bim Bom】をレコーディング。 11月10日:第二弾のソロ【Desafinado】【H-b-l-l】をレコーディング。 1959 3月:初のソロアルバム【Cheaga de Saudade】が発売される。 7月:EP【Manhnã de Carnaval】 をレコーディング。 1959 アルゼンチンに滞在。 3・4月:アルバム【O amor, o Sorriso e a Flor】をレコーディング。 5月:リオデジャネイロ建築大学にて開かれた初のボサノヴァ・コンサート【O amor, o Sorrisoe e a Flor】に参加。 アストラッドとの間に長男ジョアン・マルセロ誕生。1961 3月より7月:アルバム【João Gilberto】をレコーディング。 1962 7・8月(リオデジャネイロ):オウ・ボン・グルメで行われたショウ【O Encontoro】に参加し、アントニオ・カルロス・ジョビン、ヴィニシウス・ヂ・モラエス、オス・カリオカスと共演。 9月:【イパネマの娘】発売。 11月21日:ニューヨーク、カネギー・ホールで行われた歴史的に残る、アメリカ初のボサ・ノヴァ・コンサート【ボサ・ノヴァ―ニュー・ブラジリアン・ジャズ】に参加。 1963 アストラッドとジョアン・マルセロと共にアメリカ滞在。 3月:アルバム【ゲッツ/ジルベルト】をレコーディング。 7月:ジョアン・ドナート、ミルトン・バナナ等とヨーロッパ・ツアーを行う。 9月:右腕の筋肉硬直不安症に悩まされ、パリにて治療を受ける。 パリで出会ったエロイーザ・ブァルキ・ヂ・ホランダ(ミウシャ)とのロマンスが始まる。 1964 2月:マンハッタンでミウシャとの生活を始める。 3月:アルバム【ゲッツ/ジルベルト】がグラミー賞の年間最優秀アルバム賞を獲得。 ライフ誌で【ゲッツ/ジルベルト】が取りあげられ、全米に大反響をよぶ。 6月(ニューヨーク):ジャズ・クラブ【ヴィレッジ・ヴァンガード】に出演。共演のバンドはビル・エヴァンス・トリオ。 7月(ニューヨーク):ジャズ・クラブ【ヴィレッジ・ゲート】に出演。共演のバンドはアート・ファーマ・クァルテト。 10月:スタン・ゲッツと共にカーネギー・ホールにてコンサート。コンサートの模様はアルバム【ゲッツ/ジルベルト#2】としてライヴ・レコ−ディングされる。 12月(シカゴ):ロンドンハウスで4回のショウ。しかし観衆のたてる物音が気に障り1日目のショウだけを行い、残りの3回のショウをキャンセルする。 1965 4月(ニューヨーク):ミウシャと結婚。 声帯異常のノイローゼに悩まされ、リオデジャネイロの発声治療士ペドロ・ブロッキに声帯の治療 を受ける。結果は異常なしとの診断。 1966 1月(サンパウロ):テアトロ・ヘコルヂでTV番組【オ・フィーノ・ダ・ボッサ】に出演。 5月:ニューヨークに戻る。 5月12日:ミウシャとの間の娘イザベウ(ベベウ・ジルベルト)誕生。 |
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